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2005年8月 3日 (水)

ご心配かけました。

携帯から取り急ぎ。

早いもので手術から一週間がたちました。まずは無事に手術終了、腫瘍全摘をご報告します。

現在、集中治療室から大部屋に移動。風船のように腫れた顔も落ち着き、頭痛、めまい、吐き気もよくなってきました。

今日から杖を持って、フラフラ、ヨタヨタしながら、歩行訓練を始めたところです。

いやー、本音を言うと、大変な一週間でした。痛がりで根性なしな中年男にとっては特にね。

それだけにネタは豊富。お楽しみに!

PCはまだ開けないので、コメントを付けてくださった皆様、返事は次回にでも。

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2005年8月 5日 (金)

手術の朝。

手術当日の朝は、台風上陸の前だけあって、
雨がシトシトと降っていました。

6時に起床しました。

まさか率先して起きたわけではありません。
手術を控える3人ばかりのこの大部屋で、
オジサン(後期)は、5時を過ぎるとゴソゴソしはじめ、
洗面で顔を洗い始め、ひげ剃りをウィーンと動かしました。

洗面所のすぐ脇にベッドがあった私は、
その音に我慢しきれず、起き出したのです。

負けじと洗面を済ませ、
爽やかなモーニングコーヒーといきたっかたのですが、
昨夜9時から食事は一切禁止のため、もちろん飲めず。

術後には集中治療室に移動することになっていましたが、
荷物はまとめてあったので、
すっかりやることがなくなってしまいました。

手術は午前9時から。
まだあと3時間もありました。

そこに担当の看護師が手術着を持って入ってきました。
すぐ脱げるタイプの薄い着衣です。
すぐに着替えます。

今回はT字帯と呼ばれるフンドシは使いませんでした。
用意する備品項目には入っていたのですが。
ですから、下の毛は剃っていません。

その代わりといっては何ですが、頭髪の毛は、久々に1厘刈りにしました。
すっかり気分はロナウドです。

そんな頭と一枚きりの手術着ではとても寒くて、
フトンに入っているうちに二度寝してしまいました。
なんせ緊張するには、まだ早く、(この時点でまだ6時30分)
家族が来るにもまだ早いのです。

こんな時は、やっぱり寝ちゃうのが一番。。

  

そのうち、いつのまにか妻と家族が来てくれ、
起こしてくれました。(午前8時10分)

家族は気を使って、夫婦二人きりにしてくれます。

テレビをつけながら、何となく妻と会話をします。

そこはかとなく、それとない会話でつなぐ時間。

   

しばらくすると、看護師さんが呼びに来ました。

急いで、簡単なお別れをします。
勿論、熱い熱い抱擁と口づけといったアメリカンなものはうちにはなく、
軽い声かけと、微笑合いで、しばしのお別れを済ましました。

担当の看護師に連れられて、
歩いてエレベーターホールへと向かいます。

ちょっとなごり惜しく、振り返ると、
家族がこちらを見ているではありませんか。

その光景は、まるで「第1志望大学の受験会場に、
家族総出で応援に来てもらった受験生」そのもの。

有難くもあり、心強くもあり、気恥ずかしくもあり。

こうして、わたしは送り出されたのでした。

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勝負の結果はいかに!

エレベーターの中で担当看護師とふた言み言、話しました。
内容はとりとめも無く、覚えていません。

いつのまにか専用のエレベーターで手術室のある4階に着くと、
徒歩で曇りガラスの手術室入り口に向います。

入室すると、すぐ本人確認。

ストレッチャー(要は、車輪のついたタンカ)に乗せられます。
このあと、視界に入るのは天井と左右の医師の姿だけです。

近眼でぼやけて見えるのが、
不安を掻き立てるのか、余計なモノを見ないで済むのか。
良いのか悪いのかわかりませんが、ドキドキしながら、
眼鏡を外し、看護師に渡しました。

早速、すごいスピードで手術台へと運ばれます。
天井の照明と空調が、すごい速さで後ろに飛んでいきました。

ドラマでよく見る集中ライトのあるところに止まり、
ドラマでよく見る「せーの1・2・3」の掛け声で手術台へ。

内心、「ウォー、救命病棟24時みてぇ」と
ひとり盛り上がり、不安と恐怖を誤魔化します。

麻酔科の担当が手早く心電図の電極をあちこちに取り付け、
若手の先生が、手術の準備に取り掛かります。

そんな中、左側にいる若手の先生が話し掛けてきました。
「どこにお住まいですか?」
「吉○○です。」
「おぉ、同ぁじだよ。○○病院から来たって聞いたから、そうかなと思ったんだよね。」

その時、内心では、「おっ、なごみトークだね。ラポールっていうのも医師にはあるのかな。」などと思いつつ、
いつから麻酔が効き始めるかを気にしはじめていました。

なんせゴン中山との勝負がありますから。

なごんだついでに聞いてみました。
「もう、すぐ眠っちゃうんですか?」

すると、ベッドの反対側の女性医師が、
「はい。少しずつ眠くなりますよ~。」
となぜか明るく答えてくれました。

なるほど長時間に及ぶ手術だから、
少しずつ進めていくものらしい。

すぐに麻酔ということはないのだろう。
たしかに点滴やら何やら、まだ色々準備が掛かりそうでした。
ベッドの回りもまだ閑散としているし。人も全然いないし。

左腕から管を通して何か入ってくるのがわかりました。
「あっ、何か来たな。」
頭が朦朧とした次の瞬間、あっさり落ちていきました。

「少しずつ」とは麻酔の効き方であって、
準備の進め方でないことは、明らかだったのに、
肝心なところで勘違いしてしまいました。パカ。

 

11時間後。目が覚めて。

「ヤぁベぇー、カウントしてねーじゃん。」

「あーー-ぁー。」
残念。落胆。嘆き。
(実は、それ以上に吐き気と頭痛で、すぐにこの思いは吹き飛んだのですが。)

ということで、全身麻酔の勝負結果は、記録「なし」ということになりました。

記録。それは儚い。
記録。それはいつも破られるもの。

そう、この種目はまさしく参加したことに意義がありました。
なんせ参加しないと手術ができないのですから。

もう一度挑戦させてくれとは口が裂けても言いません。
一回きりだけに誇りをもってわたしはこの記録を胸に刻みます。

種目  全身麻酔カウント
試技者  nico
記録  なし

追記
わかりやすく「今から麻酔を打ちます」と言ってほしかったなぁ。
退院の時の一声欄に書いておこう。

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2005年8月17日 (水)

術後パニックの予兆。

妻の声でわたしは目を覚ましました。
(ウソくさい?いや、本当です。)
もうすでに集中治療室にいました。

術後、集中治療室に運ばれるまでに、
看護師の質問に受け答えしていたらしいのですが、
全く思い出せません。

その後、すぐに家族一人一人と言葉を交わします。
「よく頑張ったな。」
「やっぱり良性だったって。」
「全摘だってよ。」
などと手術の成功をそれぞれ手を取って報告してくれました。
(今思えば、なかなか家族を感じる感動の瞬間ですね。)

すぐに担当の医師が来てくれて、
まだ麻酔の残るわたしに手術の結果を報告してくれました。

手術時間が予定よりも短く10時間で済んだこと。
それは脳中央の腫瘍が比較的容易に摘出できたからであること。
目の腫瘍は肉のカタマリであったため、
組織検査用に少し取っただけで全部は取り除かなかったこと。
以上を朦朧としながら聞きました。

ちょうどその最中、
こちらは「気持ちが悪い」「頭が痛い」「吐き気がする」
という3拍子そろった非常につらい状況で、
ベッドを取り囲む一同の目の前で戻してしまう一幕もありました。

そのつらさの中、
無事手術が終わり、この世界に戻ってこられた
ジワジワとした喜びも湧き上がってきて、
複雑な気分で、
先生の説明を噛みしめたのでした。

その後、しばらくして10時間以上待っていてくれた
家族たちは家路に着きました。
病院の指導だったそうです。

また、翌日の15時まで見舞いに来ないでくれと言われたそうです。

その後のわたしのパニックのことを考えると、
病院の指導は賢明だったのかもしれません。

当時のわたしはいわゆるスパゲッティ状態でした。
簡単に覚えている「付いていたモノ」を書き上げてみると。
右鼻から胃に管。
直接膀胱に管。
左上肢に点滴の管。
(さらに最初の頃は自己血を戻す輸血の管もあった。)
酸素マスクが口に。
頭頂部に直接、管。(ビックリでしょ!)
血栓ができない様に自動収縮する機械が両足に。
右腕に自動測定型の血圧計。
以上8点。

麻酔がまだ残った状態で、
相変わらず「気持ち悪い」「頭が痛い」「吐き気がする」の3拍子で寝ていたわけです。

さらに、もっと悩ましかったのが、トイレに行きたいことでした。

まだ家族がいるうちから、
わたしは「オシッコシタイ」を連発。

家族は口をそろえて
「心配しなくても管が入っているから平気だよ。」と説明し、
安心させようとしていました。

でも、とにかく膀胱に入った管が気持ち悪いのです。

尿はある程度溜まると、きちんと外に出ているらしいのですが、
膀胱の管に、とっても尿意をもよおし、
トイレに行かずにいられないのです。

家族が帰った後も、わたしはナースコールを押し続け、
「オシッコシタイ」を看護師さんに連呼。

諭すことしかできない看護師さんに我慢できなくなったわたしは、
終いには、上半身をムクリと起き上がらせ、
トイレに直接行こうとする始末。

勿論、すぐに断念して、もとのように横になるんですが、
これには看護師さんがビックリ。
ものすごーく怒られました。

「2・度・と・しないでください」ときつーく叱られました。
言外には「命の保証はありません」と言っているように聞こえました。
そりゃそーだ、頭にまだ管が入っていたのですから。

そこで、起き上がるのはやめたのですが、
どうしてもどうしてもトイレに行きたい。

ついに、看護師さんが担当医師と相談して、
膀胱の管を抜いてくれました。
これで違和感が無くなり、少し楽になりました。

それでも、根本的なつらさは変らず。
むしろ、逃げ出したいくらいつらい感じが増している気がしました。
しかも、夜はまだまだこれから。
明日の朝ははるか遠く。
先が思いやられ、気が遠くなりそうでした。

その時から、何かある度に
看護師さんに時間を聞くようになりました。
なんせ近くに時計はないし、近眼で何も見えません。
頼りは看護師さんしかいません。

随分寝たと思ったのに時間を聞くと、
20分しか経っていなくて、
朝の遠さに絶望しました。

ナースステーションから差し込む明かりをぼんやり眺めながら、
本当に楽になるんだろうかと心配になっていきました。

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2005年8月24日 (水)

パニック!

実は、2度目の入院の時、入念に心臓を調べました。
理由は、手術に耐えられるかどうかが肝腎だからです。

わたしには不整脈があり、そう深刻ではないとはいえ、
捕まえづらかったため、長いこと調べたりしました。

実は術後の晩こそ、その心臓が最も心配なのだそうです。
後になって聞いた話なのですが。

案の定、術後の夜が更けるほど、心臓がバクバクし始めました。
あまりに苦しくて、突然止まるんじゃないかと不安になります。

両手を胸の上に置いて、励ましますが、
息苦しさ、胸の苦しさは変わりません。

段々と「このまま駄目かもしれない」という気持ちになってきます。
朦朧としながら、ナースコールを押しました。

看護師さんがすぐに駆けつけてくれて、
心電図の電極を用意して、心臓をチェックしてくれます。

「大丈夫のようですね。深呼吸しましょう。」
看護師さんの声に合わせて、いっしょに深呼吸をします。

少し楽になります。
不安でたまりませんので、
声をかけてくれるのは本当に助かります。

心臓バクバク。深呼吸スーハー。
高熱で頭がクラクラし、ノドもカラカラ。
やたら唇が乾きます。

氷枕を変えてもらうため、ナースコールです。
両脇にも氷を入れてもらいます。

水差しを口に運んでもらうため、またナースコールです。
唇を濡らしてもらいます。

体が寒くなったので、また、ナースコールです。
足元にある毛布をキチンと肩までかけてもらいます。

ナースコールの度に時刻も聞きます。
まだ、深夜0時を回ったばかりとのこと。
また絶望を確認してしまったと、ガックリします。

そうしているうちに、無性にオシッコがしたくなりました。
プラスチック製の尿瓶をあてがって、しばらく待ちます。

皆さんは海で簡単にオシッコができます?
わたしはできません。かなり躊躇します。
ちょっと時間をもらわないとできません。

ベッド上でも同じでした。
かなり躊躇しました。したいのにできない。
リキんでもできない。ユルんでもできない。

そのうち、額と背中に冷や汗がにじみました。
何がきっかけがわからないのですが、
1時間ほど経つと、ひょんなことからチョロチョロと出るのでした。

すると、点滴をしているからか、またすぐしたくなるのです。
でも、決して出ないのです。
そして、また、いつ出るともわからないオシッコのために、
じっとベット上で尿瓶を手に待つのです。

「トイレに行かせてくれ。横でなく立ってすれば、すぐに出るんだぁぁ。」
寝ている間、ずーとそう思っていました。叫びたかった。

尿意の不快さにイライラするのも加わって、
心臓のバクバクが、体中を駆け巡ります。

心配になって、またナースコールします。
看護師さんは心電図モニターを確認してきて、簡単に言います。
「大丈夫ですよー。モニターも正常値ですし。」
程なく、看護師さんが立ち去ると、これがとっても心細い。

また、心臓が信じられないぐらいドキドキいい始めます。
呼吸するのを忘れているのではないかと思うほど、
息苦しくて、また懸命に深呼吸をします。

同じ日に手術を受けた他の2人は、
自分とは違って皆さんおとなしく寝ています。

暗い部屋にナースステーションの明かりが
ベッドに差し込んでいました。

かなり熱が高いらしく、頭がクラクラします。
オシッコがしたくて、いてもたってもいられません。
あまりのつらさに部屋から出て行きたい衝動に駆られます。

この部屋から出ていきたい!
明かりのある方に歩いて行きたい!!
トイレに行ってオシッコがしたい!!!
ここから出してくれ!!!!

心臓バクバク、深呼吸スーハー。
高熱にうなされ、ノドがいつも乾き、
オシッコしたいのに、ずっとでない。

暗い集中治療室。はるかに遠い朝。

気がおかしくなりそうでした。

あまりにつらくて、ナースコールを押しました。

すぐに駆けつけた看護師さんに、
氷を変えてもらうなど、いろいろと世話をしてもらいながら、
思い切って心情を話しました。
「フ、フ、不安なんです。」

 

「早く奥さんに来てもらいましょうネ。」

 

正直、不安に駆られて、
手を握って欲しいぐらいの気持ちだったのですが、
さすが有名大学病院の看護師さん。

そこで「奥さん」という言葉を出されて、我に返りました。
セクハラになるところだった。

 

その後、しばらくしてようやくオシッコが出たこともあってか、
開き直って寝てしまうことにしました。

 

数時間後、目が覚めると、
夜が明け初め、病室が薄明るくなっていました。
すると、気持ちがホッとしました。

「やっと朝だ」とつぶやいたわたしに、
看護師さんが「これが1週間も経つと随分楽になりますよ」
と励まされました。

そうです。わたしが受けたのは外科手術。
切れば治るのです。
日々良くなるのです。

この時は、術後初日で心臓が暴れましたが、
この後はそんなことはなくなっていきました。

「早く奥さんに来てもらいましょうネ」と言われたものの、
病院に言われたとおり、この日15時まで
妻は見舞いに来ませんでした。

食欲がない上に、補助なくしては食べられないわたしは、
ほとんど食べずに、食事の時に出されるお茶だけ飲んで
家族を待っていました。

病院の水道水がまずくて、早くおいしい水が飲みたかった。
病院では購入しないと飲み物はありません。

この後、午後の家族の登場まで、
ノドの乾きとの戦いが待っていました。
でも、「オシッコシタイ」よりは随分ましでしたけどね。。

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2005年8月25日 (木)

お詫び。

報告が遅くなりましたこと、深くお詫び申し上げます。
実は、お盆前に退院することができました。

「入院中の病室から」・・・「タイトルに偽りアリ」です。

あまりに早い退院に、家族ともども
「もう少し置いといてくんさい」が正直なところでしたが、
食事ができ、入浴ができ、歩けるようになったら、
病院は追い出すところのようです。

「まだ食事は時間かかるし、ボロボロこぼします。」
「歩くのも必死や。置いたって、なっ、置いたって。」
必死の頼みもむなしく、お盆前にめでたく退院となったのでした。

もちろん、家に帰れば、嬉しいのですが、
そこから一波乱あったものですから、
報告が遅くなりました。

一波乱の内容は、またブログでご紹介します。
今日は「看板に偽りアリ」を告白しました。
次回より「入院していたあの病室から」に変更します。

すっかり旬を過ぎたネタを今更書くのも気が引けるのですが、
せっかく朦朧とした頭でメモしたネタがもったいないという
モッタイナイ病にかかった患者でもありまして、どうかお許しを。

また、そもそも脳神経の手術を受けた患者が、
病室でリアルタイムにブログを書くことは
かなりの無理があったと反省しております。

目の焦点が合わない、めまいでフラフラする中で、
パソコンを打ち込むのはとても困難でした。

企画そのものに無理があったかと、ちと反省。
次回は盲腸とかの軽めの時に再度チャレンジすることにします。

お話的には、術後すぐにパニックに陥ったものの、
その後、順当に回復を見せ、
段々と回りを見渡せるようになってきたわたしが
短いながらも病院を満喫していきます。お楽しみ。。

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