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2005年9月14日 (水)

大部屋に移る。

手術後、3日目になって
大部屋(4人部屋)に移動になりました。
同日に手術した2人とはお別れです。

移動先の部屋は、手術前の隣の部屋でした。
そこには当然、まったく知らない先客たちが、
すでに控えていました。

2人はカーテンを引いて姿は見えませんでしたが、
向かいのベッドのオジサン(Nさん)だけがこちらを見て、
ニコニコしていました。

面長な顔がすっかり風船のように丸顔になっていたわたしは、
あいさつする余裕もありませんでした。

母が見舞いに来た際、Nさんに簡単な挨拶をすると、
早速、身の上話を始めていました。

寝返り打つのも大変だったこの頃は、
まだ遠くで何気なく聞いているだけでした。

元気になるにつれて段々と聞く余裕もでき、
N氏の人柄がわかってきました。

65歳であること。
17歳から東京に出てきて、プロカメラマンになったこと。
有名カメラマンは、助手に任せて何もしないことや、
ご自分の田舎新潟のお祭りの話などを聞かせてもらいました。

今年も雪が降るまでに、地元新潟の記録写真を撮りに、
帰省しなくてはならないらしい。
「頭蓋骨を外すと、利き目はやっぱり焦点が合わないの?」
突然、聞かれました。

わたしが頭蓋骨を外して目の手術をしたことを話したからです。

「利き目でない右目でシャッターを切る練習もしたんだけど、
やっぱりいい写真が撮れないんだよ。」

手術前に不安になるようなことは言わない方がいいのかなと
考えましたが、後々、ガッカリさせるような結果になってはいけないと
思い直しました。

「正直、目の焦点は合いません。ただ、先生からは徐々に
良くなってくるという話ですけどね。」

少し困ったような顔をしたN氏も、すぐに思い直して、
「良くなる速さがねぇ、どのくらいかねぇ。」
心配そうにつぶやきました。
すでに治った後のことを考えているNさんに自分との違いを強く感じました。

わたしはまずは病気を治すことしか考えていませんでした。
その後のことは考えられなかったのです。

30半ば。再就職するにはもうかなりいい年齢です。
苦労することは間違いない。
考えると頭が痛くなりました。

かといってこれ以上、妻に迷惑をかけるわけにはいかないし。。
考えはじめると、具合が悪くなるので、
とりあえず、病気の治療に専念しようと思っていたのでした。

その時、ふと思いました。
Nさんのように完治した後のことを考えられる人は、
もしかしたら、治るスピードも早いかもなと。

頭のリハビリは大事だけど、社会復帰するためのリハビリ
も一生懸命やらないとなとあらためて考えました。

Nさんは同部屋に「似た手術をした人がいて、話が聞けてよかった」と言ってくれました。
自分もあんな感じになるんだなというイメージがつかめたようでした。

一方、わたしは本格的に復帰を考える時期が近いんだと感じました。
もちろん、術後の経過を見ながらですが。
病気の影に怯え、手術の不安の中で暮らした時間は
終わりを告げたのだなとあらためて身に沁みました。

このように大部屋は、よい交流の場でもありました。
ご家族同士の情報交換の場となっていたことも数多くありました。

病院がそれを考えて、術前の患者と術後の患者を
同部屋にしているとしたら、とても優秀だと思います。
その点について実際は聞いてみたりはしなかったんですけど。

大部屋は、昔の長屋暮らしのようでした。
(勿論、例えてみるならですよ。実際住んだことはないです。)

カーテンが引かれていても、話は筒抜けです。
隣りの患者さんがどんな病気なのか、
聞き耳を立てなくても聞こえてくるんですから。

プライバシーはあまりないですけど、運命共同体のような意識は確かにありました。

手術日になれば、やっぱり祈ります。
初めてでわからないことがあれば、教え合います。
退院日になれば、声を掛け合い、ともに体の大事を祈り合うのです。

入院したのは初めてでしたけど、
大部屋暮らしはなかなか貴重な体験でした。
赤の他人と数メートル距離でカーテン一枚隔てて暮らすんですから。。

いつか同部屋の面白い仲間の話も書きたいですね。。

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2005年9月15日 (木)

いつもの朝。

遅くなってスイマセン。なかなか書けなくて。
少しですが、今回は病院の風景について書きたいなと思いました。
では、どうぞ。。

大学時代に某救命救急センターの医事課当直で
バイトをしていたことがあります。

単に高時給が理由で働いていたのです。
その時、職員のはしくれとして「病院」という世界を覗くことができました。

救命救急センターでしたので、交通事故に遭った若者か
心臓疾患・脳溢血系の老人が運ばれることが多かったのを思い出します。

日誌に「今日の死亡人数3人」なんて記入したものです。

また、あの看護婦さんとあの医師が実は付き合っているらしいなんて話も
聞こえてきたりしたものです。

狭い職場です。「そりゃ、恋仲にもなろうて」と思ったモンです。

でも、毎日何人も死んでいく病院という職場で、
いわゆる「職場恋愛」していることになんか違和感がありました。

働きながらも、やっぱり、病院はわたしにとって非日常の空間だったからです。

今回、患者としてベッドで過ごしてみて、病院の「日常」を見ることができました。

病院で過ごすことが日常生活になったとき、
また別の世界が見えました。

今回は、入院したこの大学病院の「日常」を書いてみたいと思います。

病院の朝は早いです。
毎朝、6時には目が覚めます。

看護師が朝の採血といって突然来たり。
相部屋のお年寄りが洗面所で顔を洗い始めたり。
就寝が夜9時なので、いやでも目が覚めたり。理由はいろいろですが。

しかも、7時半には朝のお茶が運ばれてきます。

「ショッカン」(用語未確認)と呼ばれる方々が一人一人に運んでくれるのです。

7時半、11時半、17時半の3回に入院患者にお茶を配り、
通常食、軟食と入院患者に合わせて食事を配り、
時には食事の補助も行なってくれます。

いつも忙しく働いている様子に感心しました。
一度、手術翌日の朝、食事の補助をしてもらいましたが、
忙しいらしく、ポンポン口の中におかずを入れられ、
「もういいです。」と途中で補助を断ったことがありました。
(その方はちょっと変わった方でしたけど。それも人間関係ってもんです。)

そして、だいたい食事の後は、歯磨きして二度寝してしまうのです。
同部屋のおじさんは、ここでまたイビキをかきます。
食後の睡眠は、大部屋で日常の光景でした。

小さい頃、「食べてすぐ寝ると牛になる」とよく注意されたものですが、
病人にとっては一番の回復方法・・・ということなのでしょう。

さらに、その寝ている午前中に、お掃除関係の方が来てくれます。

掃除のオジサン・オバサンは、いつもいつも本当に一生懸命に働いてくれます。
手を休ませることなく、絶え間なく雑巾とモップを動かすのです。
自分がほとんど寝たきりだっただけに、感心して見ていました。
見ていて気持ちがいいものでした。

担当の先生の巡回なんかも午前中に来られます。
次は教授回診について書いてみましょう!

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2005年9月17日 (土)

白い巨塔。

皆さん、ドラマ「白い巨塔」はご覧になったことあります?

一昨年、再ドラマ化されて、高い視聴率をとったドラマです。
石坂浩二が東教授役、唐沢寿明が財前五郎役を演じていました。
教授の椅子をめぐる病院内の権力闘争と、医療訴訟を通して
医師の使命と生命の尊厳に迫る社会派ドラマでした。

18年前に田宮ニ郎主演の衝撃作として
お茶の間を賑わしたこともあったそうですが、
わたしは小さかったのでそちらは覚えていません。
ですから、新鮮なイメージで毎週楽しみに見ていました。

そのドラマの中でも驚いたのが「教授回診」のシーンです。
特に、教授が多くのお供を引き連れて歩くシーンは
「あり得ない」と思ったもんです。

入院中は初めから期待していたわけではありませんでした。
まさか本当に教授が回ってくるとは思っていませんでした。
想定外です。

教授回診は週一回。
(それ以外の日は、若い医師たちが回ってきます。)
ある日の午前中にやってきました。

事前に「キョウジュカイシンが・・・」という放送が聞こえたのですが、
まったく気づきませんでした。

露払いのように師長さん(昔の婦長さん。今はこう呼ぶそうです)が、
「教授回診です!」と声をかけながら、
各病室のカーテンを開けて回って来ました。

「何、何、何!」
「教授大先生が直々に回ってくるヤツが、来る!?」

慌てましたが、「白い巨塔」を熱心に見たわたしは、
すぐに事態を理解し、すぐに興味本位な期待感で
いっぱいになりました。
頭はすでに「東教授」「財前教授」です。

なかなか来ませんでしたが、
寝ているのも失礼かと思い(患者だけど)、
ベッドで上体を起こして、何とかアグラをかきました。
なぜかドキドキしてきます。

ガヤガヤとした声が近づいてきました。
ついに先生方が20名ほどバラバラと入ってきました。

ドラマでは、一糸乱れぬ隊列を組んで廊下を闊歩し、
ベットを取り囲むシーンがありましたが、
実際は後ろの先生方が、
我関せずとペチャクチャと話をしていました。

ちょっとガッカリしました。
「ドラマではもっとキチンとしていたぞ」と
駄目出ししたい気持ちになりました。

しばらくすると、医師たちの中心にいる、
髭を生やした立派な紳士に気づきました。
名札を見るとこの病院の脳神経外科の権威、
教授先生の名前でした。
見るからに立派な教授先生です。初めて見ました。

大部屋に入ると、順番にベッドを回っていくのですが、
たまたま最後になったわたしは、自分のベットに来るまでの間、
注意深く先生方の様子を見ていました。

教授先生は患者の様子を見ながら、
患者の現状を説明する担当医師の話に耳を傾けます。
そして一言二言、気づいたことを患者に話しかけるのが常のようでした。

教授回診とは、教授が自分を診察してくれることなのかと
思っていました。
実際は、担当医師が患者の現状を報告する機会となっているようでした。

そうして順番が来るまでの間、いろいろ想像を働かせました。
教授先生は次の椅子を誰に譲ろうと考えているのだろうか。
(ジロジロ)
わたしの担当医師は、昇進ラインに乗っているのだろうか。
(あまり傍についていないなぁ)

そんなことを考えるうちに、自分の番になりました。
多くの医師が、わたしの顔を眺めます。
年甲斐も無く恥ずかしく、照れ隠しで笑ってしまいそうになりますが、こらえて教授先生を見ました。

担当医師は、分からない専門用語(たぶんドイツ語)で、
すばやく現状を報告します。
たぶん手術後、わたしに説明のあった内容を話していると想像しました。

担当医師の説明に「右目が・・・」というフレーズが聞こえた後、
教授先生はわたしに質問しました。
「右目ははっきり見えますか?」

しばらく考えてから、素直に言葉を選んで、
「下の方と右端を見ると、霞んであまり見えません。」と答えました。

すると慌てて、担当医師が早口で補足説明をします。
「いやいや、それは両目で見た場合であって、片目で見た場合は問題ないよね?ね?」
念押しするような言い方でした。

担当医師にとってなんかまずい返事をしたらしい。
すぐに「そうですね、片目でなら、問題ありません。」と答えました。

担当医師のあの慌て様。
こりゃ、減点されて教授の道が遠のいたかなとちょっと心配になりました。

教授先生は立派なひげがいかにも権威の象徴らしかった。
東教授役の石坂浩二よりも強そうで、一目で偉い人とわかる先生でした。

担当医師は、財前教授みたいに野心家には見えなかったし、
唐沢寿明みたいに若くもありません。

ただ担当医師は、手先が器用で職人気質の先生という噂で
したから、腕がいいなら、選んだこっちには
全く問題なかったよなぁとあらためて思ったりしました。

野心家過ぎて、財前先生のように
医療ミスを起こされては困りますし。

きっと現実は、フィクションよりも微に入り細のドラマがある
のだろうなどと勝手に思って面白がったのでした。

わたしにとって教授の口は別に関係ないけど、
それでも、なんとなく担当医師を応援したくなりました。
尚更、さっきの返事で減点されていないかちょっと心配になります。

受け答えで間接的に担当医師に迷惑が行くのでは、
患者も気をつかうものなのだなぁと思ったりしました。

教授たちが去っていった後は、再び大部屋にのんびりした雰囲気が戻ってきました。

教授回診は、若干違うところもありましたが、
案外、あのドラマは現実を忠実に再現していたんだなと思いました。

現実とフィクションを照らし合わせながら味わった「教授回診」。
かなり面白かったですね。

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2005年9月19日 (月)

フランケン。

体調が随分よくなり、念願のトイレにも行けるようになりました。
すると当然、洗面所の大きな鏡の前に立つようになりました。

自分の姿をそこで確認します。
ニットの帽子状の包帯をそっとどけて、
縫ってある頭をのぞいてみると・・・。

franken01 なんと!術前に思い描いていた通りの
「フランケン」なのです!!
(←拡大可)

    

思わず「フフ。」と笑ってしまいました。

フンフンフン、フランケン。ザマスザマスのドラキュラァ。
ウォーでがんスの狼男。俺たち怪物三人組よー。
そうでがんス!

と、懐かしいアニメソングが頭に流れました。
頭痛がまだあるのに、ホッと連想が湧き上がったのです。

これだけ笑うしかない時に、陽気な?歌の選択も絶妙でしょう。
こりゃ、どうも自分の頭は大丈夫らしいと
ひょんなことから確認したのでした。

そう言えば、大脳は切っていないので、術後も
すぐ普通に話せますよと担当医師が言っていました。

頭蓋底の手術って、手術としては難解だけど、
終われば、回復が早いんだなぁと実感しました。

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2005年9月22日 (木)

生え際。

午前中の回診は毎日あります。
前回にもちょっと触れましたが、教授先生ではなく、
若い先生が回診にくるのです。

今回は、ある日の回診の話です。

わたしの担当医師は、年長の「職人先生」と、「同年代の若手先生」
と、どう見ても年下で「パシリ的な若手先生」との3人が担当でした。

どの先生もいい先生でした。
でも、強いて言うなら、その中でも馬が合わなかったのが、
中堅、「同年代の若手先生」でした。

なぜなら「同年代の若手先生」は、
優柔不断で、患者との接し方があまり上手で無かったからです。

入院日を決める時も、「変更はできない」と強気になったり、
上役の「職人先生」が変更OKと分かると、
急に「問題ありません」と態度が豹変したり。

中間管理職で大変なのは想像できるのですが、
あまり誠意を感じさせない、患者への説明の仕方に
こっちがイラつくことがありました。

その「同年代の若手先生」が、ある日回診に来ました。

その時、何気なくふと「生え際に沿って、キレイに切ったでしょ?」
と手術跡をさしておっしゃったのです。

「は~、そうですね。」と答えたものの、
内心、「この先生が切ったのか。知らなかった」と驚きました。

通常、手術において、偉い先生は腫瘍摘出などの大事な場面しか
やらず、準備段階は、すべて若手の先生がすることは知っていました。

でも、麻酔で寝ていたので、
どの先生が何をしたかは全く知りませんでした。

同年代先生にとっては、電気メスの入れ方が
会心の出来だったらしい。
自画自賛的におっしゃっていたことから何となく満足げな感じが伝わってきました。

haegiwa01 しかし、実はこの切り方にわたしはとてもガッカリしていたのでした。
大事な生え際を根こそぎ切られたからです。

 

年々、生え際が後退していることは否めず。
シャンプーする時も地肌をマッサージするように気を使っていたのです!

鏡で生え際を見た時、
「こりゃ数年後には、ここまで後退しちゃうな。」
と思ったのでした。

同年代先生だから頭に来たなんてことはなかったのですが、
なぜかさらにガッカリしてしまいました。
自画自賛されても・・・。やっぱり馬が合わないらしい。。

その場は何となく過ぎ、「同年代の若手医師」も立ち去っていきました。

その後、自分をなだめようと頭の中が渦巻きます。

立場が違うんだもの、満足度のポイントが違うの当然。
先生は手術を失敗するリスクを背負って戦ってくれたのです。
でも、患者は手術が成功すると欲が出るのものです。

なんで大事な生え際を後退促進するように、沿って切ったんだ!?
などと思ったりしたのは、わたしの欲なのです。

死ぬより、障害が残るよりは、よかったはずなのです。
わたしは欲深い人間なのだなぁと、あいだみつをバリに思ったのでした。

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